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2018年4月18日水曜日

叔父の葬い 2013/01/18

糖尿病から合併症を併発して、人工透析を続けてきて、昨年5月に足を切断したG叔父が1月12日に亡くなった。74歳であった。
そこで一番印象に残ったのは、喪主である息子の葬儀に際してのお礼の言葉であった。
叔父は息子にも生まれ故郷の赤穂に帰りたいと言い続けていたそうである。
それは兄である私の父に対してもずっと言い続けていた。
高校を出て就職して名古屋に暮らして50年以上も経つのに、赤穂から気持は離れなかった。
赤穂には盆正月に戻ったが、自分の妹を手伝いに呼び寄せたり、私や従姉妹もG叔父を頼って名古屋の大学に進学した。
結局、誰一人名古屋に居着くことはなかった。
一番名古屋で裕福に暮らしていたG叔父だが、赤穂で親戚が寄り添って暮らしているのが羨ましかったのかも知れない。

G叔父は酒はそれ程ではなかったが、肉が大好きであって、脂肪分を良く摂っていた。
亡くなる数日前にも、肉やウナギが欲しいと言って食べたそうである。
結局、尿も出なくなり、点滴もできず、あまりにも苦しそうなので透析を中止して亡くなった。
亡くなる二日前まで意識があり、最後は苦しまずに眠るように逝ったという。

G叔父は現役時代はまじめなサラリーマンで、妻のY叔母は伝書鳩のようにちゃんと戻ってくると言っていた。
ゴルフや職場でのちょっとした付き合いはしていたようだが、道楽のようなものは無かった。
好きな脂っこい食事をとるのが大きな楽しみであったのだろう。

今回の葬式にはもう一人の糖尿病のS叔父も参列していた。
この叔父も60歳頃に目の調子が悪いので、診て貰ったら糖尿病と分かった。
それ以降、毎日一時間半早足で歩き、食事にも気を使って、酒も1合だけしか飲んでいないという。
S叔父は持病を理由に去年の5月のG叔父の足切断の際の見舞いには行かなかった。
後で聞くと弟であるG叔父のことを怒っていたという。おそらく見るに忍びなかったのだろう。
同じ糖尿病を患いながら、重篤な合併症で足まで切断した死に至ったG叔父と、運動と食事でほぼ完治したS叔父。
もし、G叔父が赤穂に戻ってきていたなら、兄を飛び越して亡くなることはなかったかも知れない。
しかし、一旦生活を築いた家族が名古屋を離れることは不可能だった。

私の兄弟も二人赤穂を離れて都会で暮らしている。
二人はG叔父と違い、赤穂に帰ってきたいとは言わない。
上の方は神奈川で研究職に就いているが、かなり重い持病を持っている。
下の方は名古屋に単身赴任で一度痛風でえらい思いをしたが、今は食事と運動に気を使って幾分回復している。
長男である私は、会う度に私より先に死ぬなよと言っている。
働き盛りの50歳前後の交わす会話ではないが、それだけ不安なのである。
二人とも私より年収は多いが、私よりも健康面で問題を抱えている。
G叔父の葬式に参列したこの二人の弟は、叔父の死を自分のこととして捉えてくれただろうか。
叔父の死は私や家族、親戚に大きな教訓を残してくれた。

足を切断した叔父の見舞い 2012/06/03(日)

糖尿病からの合併症が原因で、足を切断した叔父を名古屋まで見舞いに行った。
病室から車いすに乗って出てきた叔父の足は左足しかなかった。叔母によると太股の真ん中あたりから切断したという。
最近叔父と会ったのは私の父親の法事の時で、当然服をきちんと着ているので、分からなかったが、手足は透析の影響や、血の巡りの悪さから黒ずんでいた。
それでも、顔色もそう悪くなく、やつれてはいなかった。膵臓癌でやつれた知人の状態とはかなり違っていた。

この見舞いで色々と病歴について聞いたが、叔父は30歳過ぎた頃から既に糖尿病を患っていたという。
現在は73歳だから、かれこれ40年の病歴である。
病院は名古屋大学病院を利用しており、現役の頃からちゃんと治療にはあったって、教育入院は3回ほど行っていたという。
それでも、退職の頃には腎臓が悪くなり、透析をしなくてはならなくなった。透析は今年で13年目となる。
透析をしてからも、心筋梗塞、脳梗塞と合併症が起こり、危険な状態を何度も回復してきたのである。
ついに、右足を切断せねばならなくなったが、左足も足先は黒ずんできているので、こちらの方も今後切断の可能性がある。

何故これほどになる状態になったか?
叔父の答えは「この病気を甘く見ていた」ということであった。
実は叔父の叔母、つまり、私にとっては父方の祖父の妹が糖尿病だったが、これほどひどい状態にはならなくて、長生きして天寿を全うした。
叔母は叔父の近親者に糖尿病がいることを、どうもきちっとは、把握していたかったようだ。
叔父もあまり気にしていなかったのかも知れない。
叔父は酒はビールを大瓶で一本飲む程度で、どちらかというと、脂っこい物をよく食べたようだ。
それでも、大して肥満型ではなかった。
他の叔父の兄弟と違うのは、仕事がデスクワークであったことである。
もう一人糖尿病の叔父がいるが、その叔父は軽作業であった。
高校生の頃までは、柔道選手として活躍し、兄弟の中で唯一就職で故郷を遠く離れてしまったのが叔父だった。

どちらかというと、田舎育ちで社交下手の叔父は、家と職場を往復するまじめなサラリーマンで、趣味もゴルフ程度だった。
故郷の赤穂には元気な頃には毎年盆と正月には必ず帰省して、以前は退職後は赤穂に戻りたいと言っていた。
叔母は東京や名古屋の都会育ちだったし、子どもも名古屋で仕事して、家庭を築いていたので、叔父だけが赤穂に戻るということはできなかった。
だから、肉親と呼べる人は家族以外に近くにいなくて、赤穂に帰省するのが楽しみだったが、退職後は透析が3日に一度する必要があり、長くはいられなかった。

今回の手術に際しては、かなり落ち込んだようで、叔母は困り果てて叔父の兄弟やその連れ合いに連絡した。
本家の伯父が中心となって、親戚が切断前に見舞いに行った時は、伯父と肩を抱き合って泣いたそうである。
私の母親と妻子、名古屋に住む弟は、その時には日程が合わずに、術後の今回見舞いに行ったが、その折りの話に触れると、叔父は涙を流した。
死にたいとまで叔母に訴えた叔父を、親戚の皆で支えたように思えた。
ただ、糖尿病のもう一人の叔父はどちらにも来なかった。
毎朝10km近く歩いて、糖尿病を克服しようとしている叔父には、思うところがあったのだろう。
見舞い金だけ預けて見舞いに行こうとはしなかった。

暫く皆で話をしていたが、座っているのもえらくて辛そうに見えたので、我々は帰ることにした。
叔母が気を遣って見送ってくれた。
その折りに切断した足をどうしたか聞いたのだが、手術をした病院が私学の大学病院だったので、献体として引き取ってくれたという。
名古屋大学であれば家族が処分せねばならなかったが、助かったという。
手術前は叔母もかなり精神的に辛かったようだが、手術もうまくいって、自分の子ども達や親戚にもよくして貰い、明るく振る舞えるようになっていた。

私が今回考えさせられたのは、叔父は確かに都会に住んでいたので、糖尿病の合併症をここまで起こしていても、73歳まで生きて来れた。
しかし、赤穂の田舎で暮らしていたら、ここまでひどい状態にまでなっていなかったのではないだろうか。
現にもう一人の叔父は合併症はないし、甥の私にもない。
叔父は仕事がデスクワークであったのが災いしていたと思う。
しかし、実は私の父も50歳半ばから65歳退までデスクワークになった。
父親がデスクワークになり、酒も多く飲んだのに痛風になっても、糖尿病にならなかったのは、畑仕事を精一杯やっていたからだと思う。
そして、赤穂市に住む叔父の兄弟は盆正月や法事以外は、それ程飲食を共にしなかったが、畠仕事を共通に持っていていた。
それぞれが競い合って、薩摩芋やら野菜を作って自慢し合って、交換していた。

叔父は赤穂に引っ越すことどころか、自分で運転して赤穂に戻ってくることさえできなくなった。
それでも優しい子どもが連れてきてくれるだろうし、こうして赤穂からも親戚が見舞いや、何かのついでに訪れてくれるだろう。
重い病気も回りの優しさがあれば、回復はできなくても克服はできる。
叔父はそれだけの人間関係を築いてきたのだから。
私も妻には食事を含め色々と気を遣わせている。
妻の支えなくては病気を克服できないと思って感謝している。
糖尿病は病院だけでは克服できない。回りの支えが必要だと心底思った。

足を切断する叔父(2012/05/02)

母親から朝から携帯に電話が入ったので何事かと訊ねたら、名古屋の叔父が糖尿病で足を切断することになったという連絡が叔母から入ったということだった。
人工透析も長い間続いていたが、その前に脳梗塞や心筋梗塞も患っており、満身創痍の状態だった。
同病相憐れむというが、自分は必死になって改善してきたのは叔父のようになったら大変だという気持ちがあったからだで、憐れむ感情ではない。
発病状態からその後の様子は詳しく聞いていないが、努力すれば改善できると思う私にとっては、そこまでなるまで何故放っておいたのか不思議である。
同じ糖尿病の赤穂の叔父は、早朝に懸命に歩くことによって悪化防いで、深刻な事態にはなっていない。
名古屋の叔父はゴルフ以外に趣味もなく、運動も真剣にしてこなかったように思う。
食事に関しては叔母が喫茶店をしていた関係で、外食系のものが日常化していたように思うが、叔母は非常に痩せて糖尿病にもなっていなかった。
同じ様な食事を摂っているので、食事のせいと言い切る訳にもいかないだろう。この糖尿病でも対称的な二人の叔父が、私にとっていい手本になった。

母親は知り合いが糖尿病で切断した足を火葬場に持って行く時に辛い思いをしたと聞いたと言っていたが、ネットのブログでも切断した足の火葬に関する記事がある。
病院が処分してくれても良さそうだが、きちっとした手続きをして、患者の側で火葬する必要なようだ。
本人自ら持って行くことはあまりないと書いていたが、患者の縁者にとっても辛いことだろう。
以前歌手の村田英雄が糖尿病で足を切断した話は有名だが、Wikipediaによれば、35歳から糖尿病を患い、1997年に右足、2000年に左足を切断して2002年に73歳で亡くなっている。
合併症は他にも心筋梗塞があったようだが、名古屋の叔父と共通点が多い。
ただ、叔父は同じ肉好きでも酒豪ではなくて、昔はビールを大瓶程度飲む程度だったと思う。
叔父はもともと若い頃は柔道を本格的にやったスポーツマンだったが、私の知っている叔父はあまり運動をする風ではなかった。
ゴルフも退職してからはあまりしていなかったようだ。

糖尿病に限らないと思うが、生活習慣病はいかにその病気に対して真剣に立ち向かえるかが重要だと思う。
私も以前は肥満を指摘されながら改善できなかった経験があるので、病状が許容限度の場合はなかなか真剣に取り組めないと思う。
入院するまでは健康書やブログで糖尿病を真剣に調べることさえしなかった。
たとえ、入院しても身近に深刻な事態になった人がいなければ、ここまで取り組めなかったように思う。
そういう意味で叔父は私の取り組む姿勢を決定づけてくれた人でもある。
悪い事例を提供する叔父に対しては非常に気の毒に思うが、人生の残酷さも現実のこととして、その叔父から学ぶことができたように思う。

2018年3月21日水曜日

SGLT2阻害薬への疑問

私の知人にSGLT2阻害薬を服用して、全く糖質制限をしていない糖尿病患者がいる。
これまで、「自分は尿から糖を出しているので大丈夫。HgA1cも6.4です。」といっていた。
ところが、先日「6.8になってしまった」とショックを受けていた。
私はそれみたことかと、糖質制限をするように勧めた。
そもそも、SGLT2阻害薬は高価でジェネリックであっても、私の服用しているメトグルコの倍の費用がかかるようだ。
高い薬を使って、好きな食べ物をいっぱい食べる贅沢ができる夢の新薬のようにも思える。
しかし、ネットで調べてみると、それなりの副作用があるようだ。
・「尿量の増加に伴い、「脱水」を起こしてしまう可能性」からの脳梗塞
尿中に糖が多くなるということは、細菌などにとっては繁殖するための栄養分が豊富な状態になることからの「尿路感染症」や「性器感染症」
(参考 https://port-medical.jp/media/articles/238)

その人は、「あと10年生きたら良い(つまり75歳まで)」と言っていた。
私は糖尿病が原因で足を切断したら、自分で火葬場に持って行くか、大学病院などに献体することを説明したりした。
それでも、6.8になるまでは、殆ど耳をかさなかった。
この新薬は糖によって血管や臓器を痛めることは無いかも知れない。
しかし、脱水によって臓器を痛めるリスクがある。
そもそも、そういう状態で運動ができるのかと思う。
運動ができなければ、別の病気のリスクも出てくるようにも思えるのだ。
健康寿命を縮めても、おいしいものが食べられる薬が夢の新薬なのだろか?
知人のように過信して、糖尿病を悪化させる場合もある。
私はその薬に頼る気にはなれない。



2018年2月25日日曜日

教育入院後最悪の事態

今日はショックを隠せない。
前回昨年12月28日の定期検査でHbA1Cが7.8になり、食事を改善してきたのにも関わらず、今日2月24日の数値は7.6であった。
最大の原因はストレスだと分かっている。
新しい仕事につて以来、ずっと厳しいストレスにさらされている。
いくら糖質制限をして、薬の量を増やしても、運動量は減っているし、酒量も増えている。
このところ、大好きな水泳もできていないし、ギターもしていない。
時間は作ればできそうなのだが、する気にならないのである。
ついに、教育入院後と同じように毎食後に薬を2錠飲まなくてはならなくなった。

HbA1C数値をを下げるのは容易なことではないのに、上がるのは簡単である。
ダイエットするときの体重と同じである。
しかも、結果は体重と違い結果は数ヶ月後に出る。
だから、本当に調子が悪かったのはちょうど再就職した頃だった。
この時期は身内の不幸もあり、無理な生活を余儀なくされた。
ここまで悪化してくると、自分を病人として扱うしかない。
家内には夕食時にご飯を食べるように言われてきた。
それは、夜中に腹が減ったと自分が言うからだった。
今日からは夕食時にご飯は食べない、朝食時も明日からはヨーグルトにブルーベリージャムは入れないことにした。
この病気は同じ病を持つものでも分からないことがある。
同じ職場の糖尿病の人は、糖を尿として排出している薬を飲んでいると言って、糖質制限をしていない。
要するに、自分の身は自分で守るしかないのである。
それを改めて思い知らされた。