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2018年4月18日水曜日

足を切断した叔父の見舞い 2012/06/03(日)

糖尿病からの合併症が原因で、足を切断した叔父を名古屋まで見舞いに行った。
病室から車いすに乗って出てきた叔父の足は左足しかなかった。叔母によると太股の真ん中あたりから切断したという。
最近叔父と会ったのは私の父親の法事の時で、当然服をきちんと着ているので、分からなかったが、手足は透析の影響や、血の巡りの悪さから黒ずんでいた。
それでも、顔色もそう悪くなく、やつれてはいなかった。膵臓癌でやつれた知人の状態とはかなり違っていた。

この見舞いで色々と病歴について聞いたが、叔父は30歳過ぎた頃から既に糖尿病を患っていたという。
現在は73歳だから、かれこれ40年の病歴である。
病院は名古屋大学病院を利用しており、現役の頃からちゃんと治療にはあったって、教育入院は3回ほど行っていたという。
それでも、退職の頃には腎臓が悪くなり、透析をしなくてはならなくなった。透析は今年で13年目となる。
透析をしてからも、心筋梗塞、脳梗塞と合併症が起こり、危険な状態を何度も回復してきたのである。
ついに、右足を切断せねばならなくなったが、左足も足先は黒ずんできているので、こちらの方も今後切断の可能性がある。

何故これほどになる状態になったか?
叔父の答えは「この病気を甘く見ていた」ということであった。
実は叔父の叔母、つまり、私にとっては父方の祖父の妹が糖尿病だったが、これほどひどい状態にはならなくて、長生きして天寿を全うした。
叔母は叔父の近親者に糖尿病がいることを、どうもきちっとは、把握していたかったようだ。
叔父もあまり気にしていなかったのかも知れない。
叔父は酒はビールを大瓶で一本飲む程度で、どちらかというと、脂っこい物をよく食べたようだ。
それでも、大して肥満型ではなかった。
他の叔父の兄弟と違うのは、仕事がデスクワークであったことである。
もう一人糖尿病の叔父がいるが、その叔父は軽作業であった。
高校生の頃までは、柔道選手として活躍し、兄弟の中で唯一就職で故郷を遠く離れてしまったのが叔父だった。

どちらかというと、田舎育ちで社交下手の叔父は、家と職場を往復するまじめなサラリーマンで、趣味もゴルフ程度だった。
故郷の赤穂には元気な頃には毎年盆と正月には必ず帰省して、以前は退職後は赤穂に戻りたいと言っていた。
叔母は東京や名古屋の都会育ちだったし、子どもも名古屋で仕事して、家庭を築いていたので、叔父だけが赤穂に戻るということはできなかった。
だから、肉親と呼べる人は家族以外に近くにいなくて、赤穂に帰省するのが楽しみだったが、退職後は透析が3日に一度する必要があり、長くはいられなかった。

今回の手術に際しては、かなり落ち込んだようで、叔母は困り果てて叔父の兄弟やその連れ合いに連絡した。
本家の伯父が中心となって、親戚が切断前に見舞いに行った時は、伯父と肩を抱き合って泣いたそうである。
私の母親と妻子、名古屋に住む弟は、その時には日程が合わずに、術後の今回見舞いに行ったが、その折りの話に触れると、叔父は涙を流した。
死にたいとまで叔母に訴えた叔父を、親戚の皆で支えたように思えた。
ただ、糖尿病のもう一人の叔父はどちらにも来なかった。
毎朝10km近く歩いて、糖尿病を克服しようとしている叔父には、思うところがあったのだろう。
見舞い金だけ預けて見舞いに行こうとはしなかった。

暫く皆で話をしていたが、座っているのもえらくて辛そうに見えたので、我々は帰ることにした。
叔母が気を遣って見送ってくれた。
その折りに切断した足をどうしたか聞いたのだが、手術をした病院が私学の大学病院だったので、献体として引き取ってくれたという。
名古屋大学であれば家族が処分せねばならなかったが、助かったという。
手術前は叔母もかなり精神的に辛かったようだが、手術もうまくいって、自分の子ども達や親戚にもよくして貰い、明るく振る舞えるようになっていた。

私が今回考えさせられたのは、叔父は確かに都会に住んでいたので、糖尿病の合併症をここまで起こしていても、73歳まで生きて来れた。
しかし、赤穂の田舎で暮らしていたら、ここまでひどい状態にまでなっていなかったのではないだろうか。
現にもう一人の叔父は合併症はないし、甥の私にもない。
叔父は仕事がデスクワークであったのが災いしていたと思う。
しかし、実は私の父も50歳半ばから65歳退までデスクワークになった。
父親がデスクワークになり、酒も多く飲んだのに痛風になっても、糖尿病にならなかったのは、畑仕事を精一杯やっていたからだと思う。
そして、赤穂市に住む叔父の兄弟は盆正月や法事以外は、それ程飲食を共にしなかったが、畠仕事を共通に持っていていた。
それぞれが競い合って、薩摩芋やら野菜を作って自慢し合って、交換していた。

叔父は赤穂に引っ越すことどころか、自分で運転して赤穂に戻ってくることさえできなくなった。
それでも優しい子どもが連れてきてくれるだろうし、こうして赤穂からも親戚が見舞いや、何かのついでに訪れてくれるだろう。
重い病気も回りの優しさがあれば、回復はできなくても克服はできる。
叔父はそれだけの人間関係を築いてきたのだから。
私も妻には食事を含め色々と気を遣わせている。
妻の支えなくては病気を克服できないと思って感謝している。
糖尿病は病院だけでは克服できない。回りの支えが必要だと心底思った。

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